読書

「おバカさん」遠藤周作

この正月で遠藤周作の「おバカさん」を読んだので、その感想を書いておこうと思う。
あれだけ、読書感想文を書くのは嫌いだったのに、大人になってブログにするなんてちょっと不思議だけど。

と、その前に。
遠藤周作について少し語っておきたい。

高校生の頃に遠藤周作の「沈黙」を読んで以来、色々と作品は読み漁った。
高校生になるまで、いわゆる「児童文学」に慣れ親しんできたわたしにとって、遠藤周作のような「大人文学」は読んだ後もかみ砕いて理解するのにとても時間がかかった。文字を読み、本の世界に入り込むことがこんなにも疲れることだったんだなと思った。

児童文学は一気に本の世界に入り込めるのに、大人文学は入り込むのさえ難しい。

でも。
遠藤周作は、文章が簡潔でとても分かりやすく、そして本の中の世界を美しくまとめ上げてくれる。
どんな風に美しいのか、説明なんてできないけど、とにかく美しいと感じる。

というわけで、そんな遠藤周作が書いた「おバカさん」

遠藤周作の本といえば「沈黙」のように、信仰について問うような、そんな本が多いというイメージだった。
どこかしらにキリスト教が絡んでくる。

このおバカさんについては、馬面でひょろっと背の高い、一見ウドの大木のように思えるガストン・ポナバルトという外国人が登場する。でも、キリスト教がどうとかそんな設定はほぼ描かれていない。(最後に本当にチラリと出てくるけど、詳しいことはネタバレになるからやめとく)

ガストンは曇りのない純粋な美しさを持っている人物として登場するけど、わたしにはこのガストンがいわゆる「キリスト」であるように思える。
何をされても、どう言われても決して曲げない信念と、そして殺し屋の遠藤を許し助けようと差し伸べる手。
最初はただの「馬鹿」のように感じたガストンが、まっすぐで美しく見えてくる。

宗教の違いによって、迫害や争いが起こっている。
正直「怪しい」「近づきたくない」と思う宗教もある。
でも、「信じる」ということは、本来美しいものなのかな…とも思う。
信じる背景には、人それぞれ何かがある。
その一人一人の背景や想いを受け入れられるように、だんなもよく言う「多様性を受け入れる」ようになれば、世界はもっと平和になるのかもしれない。

ちなみに、わたし自身はキリスト教徒でもないし、敬虔な仏教徒というわけでもない。
ただ単に浅草神社が好きで、よく行く程度。
あ、でもステンドグラスが好きで長崎に修学旅行に行ったときは沢山教会をみれて楽しかったな。

それからわたしの信仰心に関しては、テストが上手くいきますように~とか、ピアノが上手く弾けますように~とか、今年も良い年になりますように~とか、本当にいい加減で、何とも都合の良い信仰心。
多分、これから先もこのいい加減な神頼みは変わらない気がする。へへへ。

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